大きな建物は残っているが、小さい建物はほとんど無くなって更地になっている気仙沼漁港。
海の近くにある気仙沼向洋高校校舎は、今もあの日の記憶を伝えている。
何十台と瓦礫焼却灰や瓦礫残土を運ぶトラックが数珠繋がりに。多くが五輪の為、東京に行くのだろう。
浜の防波堤も津波で壊されてしまった。今もそのままの姿をさらしている。
浜の瓦礫が墓標のように海に浮かんでいる。まるで鎮魂の魂が静かにたたずんでいるようだ。
御伊勢浜を昔の綺麗な砂浜に戻そうとしている人々がいる。
階上と御伊勢浜海水浴場に通じる道路は今も崩れ落ちたままだ。
浜の防波堤も津波で壊されてしまった。今もそのままの姿をさらしている。
気仙沼南町は古くから気仙沼市の繁華街だったが、津波により甚大な被害を受けた。
上物は全て流され、タイルの床だけが風雪に晒され、かつての楽しい時間を物語っている。
流されなかった多くの建物も、復旧したとは言いがたく、静かにあの時を今も刻んでいる。
世界一のテントで囲まれていた瓦礫・廃材の焼却所の解体はひとつの区切りだろう。