被災体験者から出来るだけ色んな方々から聞くように心がけています。
震災後、復興に向け周囲の状況が急速に変化する中で、
震災当時の状況を語り伝え続けていきたいと思います。
気仙沼においでいただいた方々に、津波の映像や写真パネルなどを
ご覧いただいたり、震災を体験した気仙沼の仲間たちの想いや
生死を彷徨った話など、震災を風化させてはいけない想いで、
今を伝え未来を見据えながら語り続けていくことが、
私に与えられた役割だと思っています。
震災前はテトラポッドや防波堤で河口を固めていた形状だった海岸線は、
津波で流出し海底に破損したまま残っている。
離岸流に影響は無く、砂浜は戻ってきている。
定期的に美化活動として海岸清掃をし、少しでも多くの自然を後世に残せるように
努力していきたいとおもいます。
私達の住む場所のデメリットとしてアクセスの悪さや、
都心部とはかけ離れた状況が挙げられるが、都市集中型の現代にとって、
田舎の昔のままの自然環境が残る景観や暮らしが見直されてきている。
その価値を可視化し、体験できる環境が揃っていることは、最大の
メリットといえる。ボランティアなどの力でここまでキレイになった
気仙沼をまた見てもらいましょう!
そして楽しませて恩返しです!
あの日から3年。自分でも何か出来ることはないか、
宮城をはじめ東北の皆さんの気持ちに少しでも寄り添えたらと思いながら
お手伝いさせていただいています。
元気をもらえる、げんき市!「東北げんき市場」では、力になるどころか
逆にたくさんの元気をもらっています。
植樹、植樹、植樹、復興への基本は、自ら動き出すこと、
理論や理屈ではなく失ったものを取り戻すため!
一人が動けば周りが動く!
実行あるのみ、失ったものを取り戻すために夢を現実に!
被災地の復興において、環境問題や防災問題の解決方法として、
海岸に被災前のように緑の森を作る植樹活動をしなければならないと思い、
地元の植生に合った苗木を育て自然を何らかの形で、
未来の子供たち残したいと活動をしています。
あれから3年が経った。震災後わかったことだが三陸の地は日本の中でも
特に文明の歴史が古く、知れば知るほど面白いということ。
街も人も。気仙沼の街は更地のままで復興は目に見えないけれど
一日本人としてこれからも「ふるさと」の復興を願っています。